今年度で 職場を去る。
結婚前に働いた商社では バブリーなOL時代を4年半過ごした。
夜の接待は充分 経験した、
イランイラク戦争も、身近な事件だった。
結婚後、下の子が三歳になり 保険会社に。だが、六ヶ月でやめた。
仕事内容が、私の考えと 合わなかったからだ。
次に、ガソリンスタンドのCardデータ入力という仕事を一年程。
スタンドの若い男の子が、キラキラしていたなー。
その後、
引っ越しし、近くの鶏卵農場にて 働いた。
生後三ヶ月の幼鶏相手に、足に三種予防注射などを打ったり、卵をパック詰めしたり。産みたての卵は、温かかった。
パック詰めの卵は結構重く、腰を痛めそうなのと、正月もない生もの相手の職場は~と、
3ヶ月で 辞めた。臭かったけど、とても面白かった。
そして 東海銀行へ。
今の UFJと名前が変わるまで、
六年間 トヨタなど企業の経理担当者相手に、
お金を動かす手伝いをした。
一月に15日の勤務体系で。
当然だが 一円足りなくても、
日付の間違いも 許されない、
厳しい仕事に 帰宅後は 頭痛になる事もあった。
しかし、銀行内部を知るチャンスであり、
それは面白い経験を六年もさせてもらった。
あの「半沢直樹」は 私の隣に座る男性だった
その後、フルタイムで働きたく、
A生命保険会社の事務に就いた。
外交員さんのノルマなどの 大変さも見てきた。
2年半ほど働いたら、会社が経営不振になり、
時短を宣告され、それならと 辞めた。
そんな時、
姑との同居が 始まった。11年前である。
これは、またフルタイムで働かなければ!と、
思っていた矢先に、友から電話
明日から来て!と。
保育園の調理室,急に病気になり 困っている
6ヶ月から3歳までの乳児30人の昼食やおやつ作りが仕事内容!
と聞き、今まで経験した事が無い領域
と、飛び込み、11年間。
友と一緒の職場は、楽しかったが、
友は市の正規職員、転勤してしまい、
私は 別の人と組む事となった。
そこで5年間過ごした。
そして、家の近くに新しい園が出来ると知り、
異動を希望した
歩いて又は自転車で通える職場だった。
仕事内容は同じ 乳児は50名に増え、調理室も三名で対応する事になった。
可愛い乳児に美味しく安全な食事とおやつを提供し続けた。
おいちいー(^-^)と、可愛い顔を向けられると、この上ない幸せを感じてきた。
調理経験は、孫が生まれた今も役に立っているかなと思う。
また、柔らかさが必要な 介護食作りにも参考になっている。
家にいたら こんな様々な方と 出会える事も無かった。
きっと 出会いと経験により、人間は出来ていくのかな・・?
と、つくづく思っている。