
満州から引き上げ、義母と結婚しました。
満州での生活はそれは、苦しいものだったそはずですが、多くを語らない方だったと義母から聞いています。
夫が、就職した翌年 胃がんで亡くなり、
私は、遺影の義父しか知りません。
一方 父は、徴兵検査当時 結核を患い、戦争に駆り出されることなく 終戦を迎えました。
その間の後ろめたさがあるからなのか?
戦争の話を一つも聞くことがありませんでした。
母の兄は 海軍のラッパ吹きで、
呉から出航し、フィリピン沖で亡くなったと聞いています。
母達家族は、父を早く亡くし 兄も戦争で亡くし 「火垂るの墓」の様に 母と弟は 親戚を盥回しにされ、辛かったと言う話は 何度も聞きました。
世界中で 戦争紛争が無くなります様に 、
願います。

さて、先程旦那様を1月始めに亡くし、
初盆で 旦那様を迎えた友から電話がありました。
亡くなる前まで住んでいた名古屋市〇〇区から 市外の息子家族の近くに引っ越したのを
知らない旦那様、
「前の家に帰ってしまい、あれ?空き家になってるぞ!」と、
折角帰って来たのに 妻も居なく
「困ったかな?ウロウロしているかな?」 と。
「そんな事ないわよ!チャンと〇〇さんの処へ帰ってきてくれたわよ」と、答えた私です。
友は、隣に住む長男夫婦との 2ヶ月の近居生活にも慣れ、
「お嫁さんとも 何とかやっているわよ」と。
「そろそろ韓国とか 近くて良いから 出掛けたいわね」と、前向きな友に、
「わ!お供するわ!」と、応えた私です。